アダン葉帽子と沖縄

アメブロアトリエトコイさとこの日記より転記



アダン葉帽子制作アトリエトコイのさとこです。

台風9号去って、すぐに台風10号いらしていて、全便欠航の静かな阿嘉島です。

風は北風が強く吹いておりまして、夏は終わってしまったような感じです。

とは言っても明日からはまた南風が吹いて夏日が戻ってくるのでしょう。



アダン葉帽子の歴史を今日はいっとこうと思います。

まずはアダンという植物、こちらはご存知でしょうか?

海岸線にあるこのギザギザ葉っぱで

その実はパイナップルのような形をしていますが、パイナップルではありません。

アダンの実。緑色からオレンジ色にどんどん熟していいきます。



沖縄ではその昔、アダンの葉帽子の産業が盛り上がった時代がありました。

1910年代のことです。

制帽会社が数件たち、県内の帽子の編み手(ボーシクマー)は県内で3万人を超えたそうです。


民謡 ボーシクマーにもその様子が描かれています。

湿度がちょうどいい自然の洞穴に集まってボーシを編んでいたそうです。

女性が多く従事していて、その帽子を編んでいるところに若い男性が通ったりして

若者たちの出会いの場でもあったようです。


会社はボーシクマーたちから帽子を受け取って、それを欧州へ輸出していたそうです。そのこ

ろは砂糖、泡盛、アダン葉帽子が沖縄の3大輸出品になっていました。



私はアダン葉帽子の存在を知ったのは6年前の新聞やテレビで取り上げられたからでした。全

く知らなかったんです。沖縄に生まれて育ったのに、そんな話、聞いたこともない!ってびっ

くりしました。

テレビの内容はアダン葉帽子の制帽のノウハウをボーシクマーのおばあさんのところに通っ

て習得した糸数弓子さんがアダン葉帽子作りを復活させる活動しているという内容でした。


2年後私は糸数さんのところに習いに行くことになるのです。その話はまた今度。


アダンの乱獲でアダンが取れなくなると、アダン葉帽子はゲンロウ帽子(紙製のコヨリで作

る帽子)にとって変わられていきます。その頃まではまだボーシクマーも制帽会社健在だった

ようですが、戦争の後帽子産業は復活することはなくそのまま無くなってしまいました。あ

れだけ沢山の人が関わっていたにもかかわらず、歴史に埋もれてしまうものなんですね。

読谷渡慶次の字誌に帽子クマーが詳しく書かれています。

http://tokeshi.ezlog.jp/azashi/060381.html

興味のある方は読んでみてください。


今、帽子作りをしている人はだんだん増えてきているのが嬉しいです。😍

私と同じようにアダン葉帽子かっこいい💕と思った人が何人もいるんだなーと嬉しくなります。

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